パン屋日記 #19 用務員の木村さんに学ぶ【この世界の全てのもの(1)】
- パン屋日記

町のパン屋さんで働くフワフワの日々……を想像してパン屋で働き始めた筆者が、味わい深い同僚やとんでもないお客さまとくり広げる必ずしもフワフワではない日々の記録です。
人のやさしさや仕事の本質、心に残る一言から、「かんべんしてくれよ」と思うようなできごとまで。自分や自分の身近な人のことを思い出して、ニヤッとしたりじんわりしたりしていただけたら、これ以上の幸せはありません。
#19 用務員の木村さんに学ぶ【この世界の全てのもの(1)】
あの夜の敗因は、閉店作業を終えて(やっと家に帰れる)という、
その一瞬の気のゆるみでした。
リュックの外ポケットから取り出そうとした自転車のカギが、
運悪く、駐車場の排水溝にまっさかさま。
分厚い鉄格子で閉じられた排水溝は押しても引いても開かず、
中は真っ暗で、底が見えません。
こういう時は、パン屋の専属用務員・木村さんの出番です。
自転車を自転車屋さんに持って行くために、
本体のカギを叩き壊してもらえないかとお願いしに行くと、
木村さんが、腕まくりをしました。
『ほんならそれ、落ちたカギの方を拾ったげよう』
わたしは言いました。
「えっ、無理!ぜーったい、無理!」
わたしの話をよそに、木村さんは、今日も現場に急行します。
何でも修理する用務員の木村さんの辞書に、
「壊す」という文字は無いのです。
まず木村さんは、
ゴミ置き場に落ちていた針金を格子の穴から降ろし、
排水溝の水深を測りました。
次に鉄格子のふちを、
トンカチでカンカン叩いていきます。
すき間についたサビを叩き割ることで、
格子が鉄枠から離れるのだそうです。
次に、先をL字に曲げた棒で格子をひっかけ、
腰をいれて勢いよく、がつんがつんと上に引き上げます。
木村さんはもう、74歳。
格子よりも先に、腰の方が抜けてしまいそうです。
格子の四方が3ミリ浮き上がったところで、
廃材の木と車止めブロックでテコを作り、
ワイヤーでテコと格子を結びつけた木村さん。
支点から離れた場所にその軽い軽い体重をかけ、
いとも簡単にパカッと鉄格子を開けてしまったのでした。
「うそ……」
テコに使った車止めブロックは、
ずっと前から割れてほったらかしになっていたもの。
ワイヤーは、裏口のゴミ缶の中にあったものでした。
木村さんは捨てられていたダンボールを敷いて地面に寝そべり、
排水溝へうんと手を伸ばして、ヘドロの中を探ってくれました。
『ほーら、あったよ!』
廃材を総動員して、
鮮やかにカギを救出した木村さん。
一見ゴミにしか見えないようなものが
木村さんにはものさしやテコに見えたのだと思うと、
同じ世界を生きているとは思えない不思議さがありました。
『いいかい、この世界にあるすべてのものはね、
価値のないものなんて、ひとつもないけんね』
木村さんが言いました。
『物もそう、人もそう。役に立たん言うて、
かんたんに切り捨てたらいけんのんよ』
わたしはふと、新入社員のバタ子さんのことを思い出しました。
そして、この74歳の用務員さんのことを
しみじみと見つめたのでした。
今日のパン「食パン 山型」
食パンは、山型と角型のものに分けられる。角食の場合は、型にフタをして焼くために密度が高く、しっとりとしてぎゅっと詰まった感じになり、フタをせずに焼きあげる山食は、生地が上に伸びるため気泡が大きく、やわらかさと軽さが出てくる。どちらも好きだけどね。(担当編集のぼやき)
<コラム「パン屋日記」バックナンバーは下記へ>

甲斐寛子[フォトライター]
愛媛県出身。大学進学を機に広島へ。卒業後いったんは地元で就職するも、あまりに広島が好きすぎて再移住。好きな食べ物は焼き立てのパン。現在はパン屋さんで働きつつ、地域情報や企業インタビューを書くフォトライターとして活動中。
甲斐寛子の記事一覧関連記事
-
コラム
3.11の記憶。「見た目にはそのときの傷はなくなっているが、人の心の中には残っている」映画『風の電話』フォトブックを読む
11年という歳月。 当たり前だけど、0歳だった子が11歳に。 11歳だった子は21歳と、成人になっている。 それぐらい、見た目に変化が見られる……
2022.03.11
-
コラム
労働者が見せてくれる、生きることや働くことの原点【アジアンドキュメンタリーズ】空鞘稲生神社の禰宜・内田久紀さんが『天国と地獄“悪魔の金”をめぐる物語』を語る
アジアの優れたドキュメンタリー映像を配信する「アジアンドキュメンタリーズ」。 戦争、貧困、環境、人権など、アジアの社会問題に鋭く切り込んだラインナップが特徴だ……
2022.03.04
-
観光・旅 コラム
温鉄!! ローカル線に乗って温泉に行こう! 第二回 そうだ山温泉&JR予土(よど)線(高知県)【後編】四万十川の清流と共に列車に揺られて
温泉をこよなく愛する温泉ソムリエ&フォトグラファー中野一行と、ローカル線に乗るのが大好きな鉄旅ライター・やまもとのりこの‟のんびり珍道中”。 第二回 そうだ山……
2022.02.24
-
観光・旅 コラム
温鉄!! ローカル線に乗って温泉に行こう! 第二回 そうだ山温泉&JR予土(よど)線(高知県)【前編】弘法大師ゆかりの名湯で高知料理を堪能
温泉をこよなく愛する温泉ソムリエ&フォトグラファー中野一行と、ローカル線に乗るのが大好きな鉄旅ライター・やまもとのりこの‟のんびり珍道中”。 第二回 そうだ山……
2022.02.24