パン屋日記 #14 クマ崎さんのお留守番(1)伝説のお客さま
- パン屋日記

町のパン屋さんで働くフワフワの日々……を想像してパン屋で働き始めた筆者が、味わい深い同僚やとんでもないお客さまとくり広げる必ずしもフワフワではない日々の記録です。
人のやさしさや仕事の本質、心に残る一言から、「かんべんしてくれよ」と思うようなできごとまで。自分や自分の身近な人のことを思い出して、ニヤッとしたりじんわりしたりしていただけたら、これ以上の幸せはありません。
#14 クマ崎さんのお留守番(1)伝説のお客さま
「クマ崎さん」という、常連のお客さまがいます。
クマ崎さんの日課は、毎朝7時45分に来店し、
パン屋で、菓子パンを一つ買うこと。
そこからカフェレストランの方へ移動し、
開店5分前に慌てて出勤するスタッフに「遅いじゃないか」とクギを刺し、
店長よろしく看板を表に出すこと。
そんな日課を、わたしが生まれる前からやっている、
伝説のお客さまです。
ある朝、クマ崎さんが、
めずらしく弱気な顔で言いました。
『明日から、家族が旅行でおらんのんじゃ。
自分じゃコーヒーも淹れれんのに、どうしょうか』
69歳にしてコーヒーの淹れ方が分からないというのは、
なかなかハイレベルな亭主関白です。
『お金も自分じゃ下ろしたことないけん、
昨日まとめて下ろしてきてもろた』
もう、いやな予感しかしません。
「クマ崎さん。ご家族の方は、どれくらいおられない予定ですか」
『10日。』
それは、大変。
こうして、
クマ崎さんの「初めてのお留守番withパン屋」が
幕を開けたのでした。
お留守番1日目。
クマ崎さんは、早くも不機嫌です。
『家でコーヒーが飲めん。』
「そうですか。じゃあ、毎朝一日分、
うちで飲み溜めしていかなきゃですね!」
1日目は、それでごまかせました。
2日目。
『コーヒーが飲めんけん、体調が悪い!』
そこまで言われたら、放っておくわけにはいきません。
「クマ崎さん。ドリップじゃなくて、
溶かせば飲める簡単なやつがありますから、
それでしのぎませんか?」
『うーん』
「ミルクと砂糖は入れるんでしたっけ」
『ミルクだけ入れる』
「じゃあ、ミルクはおうちにありますね?」
『ない!』
ないわけ、ないのです。
ですが、場所が分からないなら仕方ありません。
コーヒー、ミルク、砂糖と紙コップまでフルセットになった
コンビニのインスタントコーヒーに、
一抹の不安があったので、
作り方も手書きで添えて渡しました。
袋の裏の小さい文字は読めないかもしれないので、
茶色:コーヒー
オレンジ:ミルク
白:砂糖
と、何色の袋に何が入っているのかも書いておきました。
さて、そういう時、
クマ崎さんはどうなるか。
なんにも言わずに、
「悪かったな」と「ありがとう」の顔になります。
翌日、急に「やる」と言って、
どこかのお土産を買ってきたりもします。
わたしは、
いくつになっても「悪かったな」と「ありがとう」を
言える人でありたいとは思うのですが、
それが言えない人の「悪かったな」と「ありがとう」も、
分かってあげられる人でありたいと思うのでした。
今日のパン「レモンデニッシュ」
レモンを乗せたデニッシュ。名前の通り。店によってははちみつレモンが乗っている。レモンといえば広島の瀬戸田レモンが有名ですね! 瀬戸田レモンデニッシュとかありそう。クマ崎さんの今後が気になります。(コラム担当編集のぼやき)
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甲斐寛子[フォトライター]
愛媛県出身。大学進学を機に広島へ。卒業後いったんは地元で就職するも、あまりに広島が好きすぎて再移住。好きな食べ物は焼き立てのパン。現在はパン屋さんで働きつつ、地域情報や企業インタビューを書くフォトライターとして活動中。
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