【今日もえんぴつを片手に。】<第5回>校閲者と編集者 伝えるべきことは何なのか?
- 校閲
- 校閲者
「観光」ジャンルの先輩
「ひとの役に立ちたいですか?」
打ち合わせの帰り道。
唐突に投げかけられた質問に戸惑い、結局先輩の真意は確かめられませんでした。
今回のコラムで取り上げる先輩は、こういう人です。
誰に対しても興味を示し、私にも毎回さまざまな質問をしてくださいます。
ですが、毎回予想外の方向から質問が飛んでくるので、
言葉がすぐでない私は毎回考え込んでしまいます。
その問いの一つひとつに、
編集者として積み重ねてきた経験がにじんでいるように感じます。
そしてこの先輩は、「観光」の部門を取り仕切っている方です。
私は、先輩の編集者としての豊富な経験から、
日々数えきれないほど多くのことを学ばせていただいています。
先輩から学んだことは、とても2000字の中には収めきれませんが、
私の中で特に大切にしていることを言語化したいと思います。
ところで先輩、結局あの質問はどういう意図だったんでしょうか……。
「観光」ジャンルでの
日々の取り組み
ザメディアジョンの「観光」ジャンルの主な出版物は、
年4回発行されているフリーペーパー、『るるぶFREE』です。
皆さん一度は名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。
私はこの『るるぶFREE』に、校閲だけでなく、編集としても携わっています。
社会人2年目に突入した現在、当たり前ですが、編集者としてはまだまだ経験不足で、毎回先輩に頼りきりです。
前回のコラムでも書いた通り、編集者の能力は経験によって積み重ねられていく側面が大きく、私は毎回自分の無力を痛感しています。
ページの先にいる人の存在を考える
ページの制作を進めていく中で、
そもそも自分が表現したかったことって何だったのだろう……?と、
方向性を見失ってしまうことがしばしばありました。
ただ自分がやりたいことを表現するだけでは、ページは成立しません。
なぜこの雰囲気にするのか、なぜここにこの施設情報を入れるのか、なぜこの施設を取り上げるのか。
そういう一つ一つの要素を、理由を持ってページに落とし込んでいかなければならないと教わりました。
そしてその理由とは、「ページの先にいる人」 の存在。
ここに帰結していきます。
すべての出版物の先には、必ずそれを読む人が存在しています。
ページの先にいる人が、何に興味があって、何を知りたいのか。それらを的確にくみ取る力が、編集者には必要なのです。
私は、一般的に求められる情報と、自分の気になる情報に乖離があるようで、その差を埋めていく作業に毎回骨を折っています。
少しずつ編集者としての視点を学ぶ一方で、この教えが校閲の仕事とも切っても切り離せないものだと気づきました。
編集者としての学びが、
校閲者としての世界も変えた
読むページの目的を全く考慮していなくても、一応校閲はできます。
誤脱字はないか、文章が正しいか、ただただ文字を追っていけばいいのです。
ですが、私は、これでは不十分だと感じています。
校閲者としても、そのページが誰に向けて、どういう目的で書かれているのか、
という視点を持つことが、校閲の精度を上げることだと気付きました。
この視点があれば、例えば、この文章は目的に沿って書かれているか、読み手が不快に思わないか、そもそもこの文章があるべき位置はここなのか……など、確認すべきポイントが無限に見つかってきます。
校閲を始めてすぐの頃はこの視点が持てておらず、
上司の校閲したページを見て、「なぜこんなところに気が付けるんだろう……」と自分の力不足を感じていました。
もちろん今も同じように思うことは多々あるのですが、少しずつ、自分でも気付けるポイントは増えてきたように自負しています。
また、以前なら単に「どういう意味ですか?」と疑問を出していたようなポイントも、
「こういう目的でこういう表現にしているのかもしれない」と、想像できる幅が増えたような気がしています。
編集者としての視点を少しずつ知ると同時に、校閲者としても、ページの中に見える世界が広がっていったのです。
先輩はよく私に、「あなたは編集もできる校閲になるべきだ」と言ってくださいます。
この言葉は私の中で、編集者の気持ちも、出版物の先にいるどんな人の気持ちも想像できる校閲者になりたいという目標になりました。
そして、こういう目標ができたことで、先輩の最初の質問の意味もなんとなくわかる気がしてくるのです。
おまけ
このコラムは、毎回上司に校閲をしてもらっています。
今回、【骨を折る】という言葉に指摘が入りました。
実は、【骨を折る】と【骨が折れる】というのは別の言葉で、下記のように意味が違います。
【骨を折る】……面倒がらないで努力する。
【骨が折れる】……困難で苦労する。面倒である。
私は文章に【骨を折る】を使用していましたが、文脈的に【骨が折れる】ではないか?という指摘です。
この指摘を受けるまで、私はこの2つの言葉に意味の違いがあることを知りませんでした。
上司の校閲としての素晴らしさと、校閲の仕事のおもしろさを改めて感じた出来事です。
この指摘の上で私がどちらを採用したのか、ぜひ確認していただけると嬉しいです。
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