コラム
公開:2026/06/05

【今日もえんぴつを片手に。】<第3回>2年目校閲者が「気になる」こと

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目につく文字がすべて気になる

小説を読んでいたら誤植を見つけて、
もう私はその後の内容なんて頭に入らなくなってしまいました。

世界には文字が溢れています。
本を読まなくても、街を歩けば広告や看板、家の中にだって文字は無限にあります。

これらの文字について、皆さんは「気になる」と感じることはありますか?

私はめちゃくちゃ「気になり」ます。

例えば小説の誤植を見つけると、
まず正しい言葉を探し、次にその誤植が起こった背景を想像します。
変換ミスなのか、
誤用が見逃されたのか……、
私もこの言葉が出てきたら注意して見るようにしよう……。

また、ある日薬局に行ったときに、
「処方せん受取り」
という文字がめに飛び込んできました。

処方せんの「せん」は、本来感じで書くと「箋」です。
ですが、画数も多いし、難しいから、ひらがななんだろうな。
「受取り」は、「受け取り」でも「受取」でもなく
あえて「受取り」とした理由は何だろう……。

こういうことを一気に考えて、
手や足を止めてしまうことが、多々あるのです。

本を読み始めた小学生の頃から、
私の頭の中には世界観に没入している自分と、
言葉の意味や繋がりを追いかけている自分が同居していました。

ふと、自分はなんでこんなに言葉が気になるのか。
そういうことを考えました。

人によって違う「気になる」

昔から私は、私以外の全員が頭の中で同じように文字を見ていると思っていました。

ところが、程度の差こそあれ案外他の人はここまで文字について気にならないようです。
そもそも、自分のこういう癖を言語化できるようになったのは、社会人になって校閲が仕事になってからです。
自分の「気になる」を言語化するようになってからです。

私はこの1年間で“人が校閲した原稿”を見る機会がかなり多くありました。

そこで感じたのが、人の数だけ「気になる」ポイントがあるということ。

あしらいの違いが気になる人、
文字組の違いが気になる人、
表記統一が気になる人……。

自分と違う「気になる」を見て新たな視点を取り入れることで視野が広がり、とても勉強になります。

しかし同時に、
他人の「気になる」を知る度に、
自分の指摘が正解なのかどうか、自信がなくなっていきました。

そこには少なからず、
「こんなところが気になるんだ⁉」 という、他人の価値観への驚きが含まれています。
ですが、私がこう感じるということは、
当然、私が校閲した原稿に対しても、同じように思う人がいるということです。

人の数だけある正解の中で、私の指摘は果たして正解と呼べるのだろうか。
私だけが気になっている、些細なことなのではないか……。

ついつい校閲した原稿を編集の先輩に返すとき、
「私だけが気になっていると思うんですが……」という言葉をつけてしまうことが増えました。
きっとこういう意図で書かれている文章なんだろうと、自分を納得させて、指摘をいれなくてもまあいいかと、終わらせてしまうことが増えました。

ですが、果たしてこの姿勢は私にとって正解なのでしょうか。

私の「気になる」はどこにいってしまうのでしょうか。

私だけの「気になる」

そもそも、私がすべきことは、「気になる」を言語化し、他者に伝えることです。
そのため、私だけしか気づいていない「気になる」ところがこの誌面にはあると、
もっと自信を持って伝えても良いのではないか。

 

もしかすると、ザメディアジョンの出版物を手に取った人の中に、
私と全く同じ箇所が気になる人がいるかもしれません。
その人がその箇所を見たときどう感じるのかはわかりません。
もしかしたらその一つの表現で、その本全体にマイナスな印象を持つかもしれない。

“私だけが気になるなら、まあいいか”

そうやって流してしまった表現の中に、誰かにとっての「気になる」があったのかもしれない。

最近は、そんなことを考えています。

私のすべきことは、全ての「気になる」を根拠を持って言語化し、新たな視点を提供することだと、根本に立ち返る必要があるのかもしれない。
など、最近はこういうことを考えているのです。

 

私は人より明らかに文章が「気になる」人間です。
これからも、私が校閲した原稿を見て、
こんな些細なことで指摘を入れるなんて……という反応を頂くことがあるかもしれません。

ですが、文章が気になって気になって気になってしょうがない。
こういう癖があることは、校閲者としてはむしろアドバンテージなのではないでしょうか。

出版物を見たときに、私は他の人より多くの「気になる」を見つけることができる。
きっと、「私にしかできない指摘」もあるはずです。
指摘を入れることを遠慮していては、きっと私の「気になる」は「まあいいか」に消されていってしまいます。

校閲を始めて、毎日試行錯誤して、丸1年が経ちました。

2年目の私は、少しずつ自分の「気になる」を大切にしてあげてもいいのかもしれません。

<バックナンバー>

【今日もえんぴつを片手に。】<第2回>2年目校閲者の10年目上司――「違和感」の先にあるものは?

【今日もえんぴつを片手に。】<第1回>校閲の世界は、思った以上に複雑で、答えのないものでした。

 

 

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