コラム
更新:2026/09/07 公開:2026/09/04

【今日もえんぴつを片手に。】<第6回>2年目校閲者は、流行り言葉をどう扱うのか?

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流行り言葉、使ってますか?

前回、前々回と、ザメディアジョンの各ジャンルごとの編集者の先輩方との関わり、それぞれの校閲を通して学んだことをまとめてきました。まだ出版物のジャンルは残っていますが、今回は少し寄り道を。
最近私が興味を持っている、「流行り言葉」との向き合い方について書いてみたいと思います。

今回のコラムで言う「流行り言葉」は、身内だけに伝わる内輪ノリのようなものから、流行語大賞を取るような社会現象になった言葉まで、広い目線で捉えています。
少し前から、同期との間で語尾に「ちゃんねる」という言葉をつけて話すのが流行っています。

使い方としては、「出勤ちゃんねる」「お疲れちゃんねる」など。
この言葉って何が由来なんだろう? とふと考えることがありました。接尾辞のようなもので、「ちゃんねる」という言葉自体に深い意味はないはずです。
使っている自分たちも深く意味を考えているわけではないですし、そもそも定義しようとすること自体がナンセンスなのかもしれません。

流行り言葉って何?

思えば、流行り言葉のほとんどがこの状態に当てはまるのではないでしょうか。
正しい意味や由来よりも、使っている人にとって語感が気持ちよく、楽しいことの方が重要です。
私のように意味や由来を考える人が現れた瞬間、流行りが終わってしまいそうな、そんな危うさまであります。

校閲をしていると、まれに、文章の中に流行り言葉が使われているのを見かけます。
そのたびにその言葉が一般的なものなのか、それとも特定の時期だけに使われていたものか調べ、検討する時間が発生します。
そして、もしそれが流行り言葉だった場合は、悩んだ末、一般的な言葉に言い換えるよう疑問を出すことが多いです。

流行り言葉を調べる作業をするとき、大抵の動機が、「この言葉、聞いたことはあるけれどどういう意味かちゃんとは理解していないな」と感じることだから厄介なのです。
私と同世代の人が同じ文章を読んだときに、恐らく多くの人がその言葉に対して同様の感想を持ってしまうでしょう。こうなった場合、当該の文章は決して「読みやすい文章」とは言えないはずです。

逆もまた然りで、最近の流行り言葉だな、と思って文中の言葉に指摘を入れずそのままにしてしまうと、私より上、もしくは下の世代の人が読んだときに、全く意味が伝わらないかもしれません。
「流行り言葉」は気持ちよくて、それを使用している人にとっては共通言語になりえますが、ひとたびそのコミュニティを出てしまうと「わかりにくい言葉」になってしまう。

流行り言葉が、世代やコミュニティ、時期など、様々な要素から理解できる人が限定されていくものであることがわかります。

流行り言葉を出版物に使ってもいいのか?

限定的にしか伝わりにくい流行り言葉を、果たして出版物に使用していいのでしょうか。広告や雑誌のように、時期を限定して制作されるもの・数カ月で内容が刷新されていくものならまだしも、書籍となると、そうはいきません。

書籍は一度出版されると残り続けるため、長い期間にわたって読まれる可能性があります。
重版がかからない限り、一度出版された書籍を修正することは不可能に近いですし、修正する機会があったとして、数百ページの中から特定の言葉だけを見つけ出して修正しきれるものでしょうか。

また、残り続けるということは、手に取る人の世代も変わっていくということです。
もし今の流行り言葉だらけの書籍を50年後の若者が手に取ったとき、それはもう古典の教科書のように思われてしまうかもしれません。

先ほども書いたように、私は校閲を行う一つの目的として、誰にとっても読みやすい文章づくりがあると考えています。
意味が掴み切れない言葉にいちいち引っかかって、筆者が伝えたい内容が頭に入らないことは、校閲者の立場からも、きっと筆者の立場からもうれしいことではないはずです。

流行り言葉は、出版物に適さないのでしょうか。

それでも流行り言葉を使いたい

SNSが発展し、言葉の生み手が著名人だけでなく、名もなき一般人である事例を頻繁に見かけるようになってきました。
合わせて、スマホの画面上でのやり取りが日常となった今、流行り言葉の数は以前より多くなってきているようにも感じます。

新たな言葉が日常的に生まれる中で、流行り言葉の寿命はどんどん短くなっているように感じます。

例えば自分に当てはめても、5年前の自分がどんな言葉にハマっていたか・世の中でどんな言葉が流行っていたかなんて、もう思い出すこともできません。

一体どれだけの言葉が人知れず消えていったのか。
それは、時代の流れ的に仕方のないことなのかもしれません。

それでも、私は大好きな「言葉」が、より多く後世に残ってほしいと感じます。
流行り言葉を出版物に適さないものとして扱うのではなく、どうやって生かすかを考えることが、「言葉」を残すことに繋がるかもしれません。

例えば、出版物に対談やインタビューの記事が載っていたとして、発言者が流行り言葉ばかりを使っているのが目に付いた場合、それを全て平準化してしまうことは、果たして正解なのでしょうか。
その瞬間の発言の意図を余さず伝えられるのは、その人自身が選んだ言葉ではないでしょうか。
それを全て置き換えてしまうと、その人の言葉を世の中に伝えるという、その記事の目的から逸れてしまうかもしれません。

こうやって、一つ一つの文章を検討し、出版物の目的に合わせた最適な指摘ができる校閲者でありたいものです。

言葉の在り方に正解を求めてしまいがちなのは職業病と言って間違いないのかもしれませんが、「流行り言葉」に関しては、「正解を求めない」というのが正解なのかもしれません。

出版物は一度作ったら、ずっと先まで残り続けるものです。
「流行り言葉」を少しでも多く後世に残すためにも、文章の中にそれらが現れたときは、毎回時間をかけて検討し、最適な扱い方を見つけていく。

そうすることで、校閲者は言葉が残る手助けができるのかもしれません。

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