【著者コラム】中四国地方の鉄路と湯けむりを綴る『温鉄』 鉄道旅ライターが伝えたかった旅/やまもとのりこ
効率を求める日常から、
一歩外へ
新刊『温鉄』の企画が動き出したのは、誰もが「移動」を奪われたコロナ禍の真っ只中でした。
「大好きな温泉とローカル線を応援したい」という共著者・中野一行さんの熱い呼びかけに応え、
私の執筆作業は始まりました。
ところが、いざ書き始めると——。
余りにも路線のことが大好きすぎて、この魅力を余すことなく伝えたい!と、
伝えたい情報をこれでもかというほど濃厚に詰め込んでしまい、文字数は大幅にオーバー!
「この調子で書くとものすごく分厚い本になってしまいますよ!」と、
編集さんや中野さんに止められたほどでした。
そこで一度、立ち止まって考えました。
タイパ(タイムパフォーマンス)や効率ばかりが重視される現代で、
私たちはせっかくの旅まで「情報の消費」にしてはいないだろうか。
ローカル鉄道と温泉。
この二つに共通する最大の魅力は、究極の「のんびり」です。
スマホを置いて、列車の揺れに身を委ね、移りゆく車窓をただ眺める。
そんな「何もしない贅沢」こそが、忙しすぎる日常から心を解放してくれるのだと思うのです。
両親が教えてくれた、
旅の本当の姿

「のんびり旅を楽しもう」――。
そう決めたものの、実は私自身、その本質を本当の意味で掴みきれずにいました。
そんな時に訪れたのが、最愛の両親との別れでした。
悲しみの中で実家を片付けていたとき、ふと蘇ってきたのは、
旅を愛した二人のはじけるように明るい笑顔でした。
一つひとつの旅を心から楽しみ、自分たちの感性を大切にしていた二人。
母は、有名な観光地を制覇するような忙しい旅ではなく、
ゆっくりと好きなところを周って自分たちが楽しむことを第一にしていました。
自然を愛する父は、度々山や川へキャンプに連れて行ってくれました。
テレビも新聞も来ない、自然以外は何にもないところで、数日のんびり過ごす。
そんなときの父は、まるで少年のような天真爛漫な笑顔を輝かせていました。
その笑顔を思い出した瞬間、私はハッとしました。
情報の詰め込みすぎで膨れ上がっていた原稿が、急に色褪せて見えたのです。
「私が本当に書きたいのは、二人が見せてくれたような、心がほどける瞬間なんだ」。
私は、書きかけていたものを一から書き直す決意をしました。
鉄道と温泉がくれる、
自分へのご褒美

書き直した原稿には、スペックではなく「体温」を込めました。
クルマを運転する緊張感から解放され、ぼーっと外を眺める贅沢。
高齢になって運転ができなくなっても、
鉄路があればいつでも世界と繋がれるという安心感。
鉄道に揺られて温泉へ向かうのは、単なる移動ではなく、
自分自身を大切に労わるためのとっておきの時間のようなものだと感じています。
ありふれた景色の中に、自分だけの発見がある。
そんな「のんびり」とした旅は、
今のあなたにしか味わえない、かけがえのない物語になります。
日常の忙しさや「こうあるべき」という重たい荷物をそっと置いて、
ふらりと列車に乗ってみてください。
ガタンゴトンというリズムに身を任せ、
湯けむりの向こうにぼんやりと明日を眺める。
そんな「のんびり」の先に、
かつての父や母が見せてくれたような、心からの笑顔が待っているはずです。
多くの方に支えられて、
感謝を込めて
この本が完成したのは、自分一人の力ではありません。
中野さんが声をかけてくれ、編集さんが企画を通してくださり、
鉄道会社や温泉宿の皆さんが賛同してくださいました。
多くの方々の応援という温かな追い風があったからこそ、
このタイミングで世に出すことができたのだと、心から感謝しています。
人生を彩る「温鉄」の旅へ。
この本が、あなたの新しい一歩のきっかけになれば幸いです。

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