パン屋日記 #43 もう一人の忘れられない人
- パン屋日記

町のパン屋さんで働くフワフワの日々……を想像してパン屋で働き始めた筆者が、味わい深い同僚やとんでもないお客さまとくり広げる必ずしもフワフワではない日々の記録です。
人のやさしさや仕事の本質、心に残る一言から、「かんべんしてくれよ」と思うようなできごとまで。自分や自分の身近な人のことを思い出して、ニヤッとしたりじんわりしたりしていただけたら、これ以上の幸せはありません。
#43 もう一人の忘れられない人
厨房に、新しいコックさんが入りました。
アルバイト雇用で入社した、
「おじちゃん」と「おじいちゃん」の
あいだくらいの人です。
常識があって、世間話もできる人で、
パートさんたちに大人気。
わたしはどうしてもそのコックさんに
隠された固い芯のようなものを感じており、
みんなよりは少し冷静に見つめていました。
新しいコックさんの初出勤から、2日目。
たまたまコックさんと、休憩がかぶりました。
コックさんはフレンチの出身だそうで
「今の今まで、料理一筋」ということだったので、
ご自身でお店をやろうとは思わなかったんですか、
と尋ねました。
やったけどやめた、と
おじちゃんコックさんは言いました。
パートさんたちとおしゃべりをしているときとは、
少し違う雰囲気です。
コックさんは、かいつまんで言えば
近年外食にお金を使う人が減っていて、
フレンチの市場はその中でもニッチで
個人でお店をやっても、
続ければ続けるほど借金が増えるだけだ。
だからやめた。
そのように言いました。
わたしは、前提が言い訳みたいで、
少し気に入りませんでした。
流行らなかったんです、と言えばいい。
地方でフレンチの市場が小さいのは
今に始まったことじゃないし、
個人事業の飲食店でも
成功している店はいくらもある。
「あっちもこっちも、痛いのだけれど」
コックさんは言いました。
「身体が元気なうちは、
何かしら働こうと思っています」
わたしたちの会話はほどよい場所に着地し、
あたりさわりのない話と
同じような終わり方ができたところへ
なぜかコックさんは、
ドアの前で振り返ってこんなことを言いました。
妻は、35歳で、ガンで死にました。
わたしが38歳の時でした。
病気ゆうんは、運です。
誰かや何かが、悪いわけじゃない。
本当に運です。
そう言って、休憩室を出ていきました。
わたしは、なぜ今、なぜわたしに
コックさんがそんなことを
言ったのかがわからなくて
今でもたまに思い出しては、
ざわざわしたような気持ちになります。
わたしは今、28歳ですが
コックさんの奥さんは28歳のとき、
自分が35歳で死ぬなんて
思ってなかっただろうなあ、と思うのです。
お店に戻るとコックさんは、
普通のコックさんに戻っていました。
厨房ではお母さんたちが
コックさんの奥さんは、
まだ現役で働いているらしい、と
さあ、何関係のお仕事だって
おっしゃってたかしら、と
コックさんの、今の奥さんについての噂話をしていたのですが
わたしは、コックさんの
もう一人の大事な「忘れられない人」のことが
わたしにとっても忘れられない人に
なってしまったのでした。
今日の食パンアレンジ ♯18
FLAG!vol.04「&パン」での企画で、実際に編集が30品目の食パンアレンジを試食してグラフ化した企画。意外とね、おいしいアレンジあるんです! そうでないものも、ありましたが……。興味ある方は、ぜひお試しあれ!(担当編集のぼやき)
<バックナンバー>

甲斐寛子[フォトライター]
愛媛県出身。大学進学を機に広島へ。卒業後いったんは地元で就職するも、あまりに広島が好きすぎて再移住。好きな食べ物は焼き立てのパン。現在はパン屋さんで働きつつ、地域情報や企業インタビューを書くフォトライターとして活動中。
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