「やっぱり、広島の音楽が好きだ。」キムラミチタ×清水浩司 スペシャル対談【♯01】
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- 広島音楽
- 愛と勇気を分けてくれないか
- 清水浩司
- 音楽
音楽トレンドを鋭く読み解き、ラジオや雑誌等を通して発信し続けるキムラミチタと清水浩司。
目まぐるしく変容するこの街を、音楽という観点から眺め続けてきた故の思いとは?
これは、雑誌「FLAG!vol.14」掲載の2人のスペシャルなロング対談を、
2回に分けてお届けするエディショナルアーカイブです。
満たされなかった若き日
音楽が人生を変えてくれた
清水 こうやって、しっかりとお話するのは初めてですよね。仕事の関係で立ち話程度に話す機会はあったけど。うれしいですね、僕にとってミチタさんは、先輩ですからね。
キムラ いやいや、何言ってるんですか(笑)。逆、ぎゃく! 俺のほうが3つ年下ですから。
清水 そう、3つ違いなんです。初めてきちんとご挨拶したのはもう8年前ですね。川崎フーフ名義で『がんフーフー日記』(小学館)という本を出して、広島に帰ってきたタイミングだ。本の宣伝のためいろんな方を紹介してくださったんです。そのうち当然のように音楽の現場でもお会いするようになって……。
キムラ 今やもうね、清水さんは大人気ラジオパーソナリティでもあり、小説家としても作品も出されてて……。
清水 いやいやいや。そっちの話は今はふらないで(笑)。
キムラ つまり清水さんの昔からを知ってるわけじゃないんですよ。だから、すごく興味がありますよ。小説も読ましてもらいましたし。どんな学生だったんですか? 広島に住んでたころ。
清水 友達いなかったですねぇ(笑)。超孤独でした。特に高校時代は絵に描いたような黒歴史ですよ。
キムラ あははっ。あー、一緒だ。孤独チームですね(笑)。
清水 特に僕は男子高に通ってたのでこじらせ方がひどくて。一人でレコード聞いて、映画見て、本読んで……、みたいな生活を送ってました。
キムラ 周りの子は、部活して勉強に勤しんで、彼女作ったり……、でしたね。
清水 いちゃいちゃしてる高校生カップル見て「コロス!」って思ってましたよ(笑)。
キムラ 僕はそこまでではないな。もうちょっと柔らかかったかな(笑)。皆と仲良くはしてたけど、「なんか違うなー」と思ってました(笑)。自分一人で、音楽聞いてる時間が楽しかった。学校の皆と繋がってはいるし、キムラ君は音楽に詳しいから聞いてみようって話かけてきてくれるんだけど、本当に好きな音楽の話はしなかったなぁ。
清水 女の子と付き合ったりは?
キムラ 全然ない。スクールカーストの中では下の方。とにかく目立ちたくなかった。
清水 えー! そうなんだ。意外だ。
キムラ 人付き合いは嫌いじゃなかったんですよ。でも、中学校の時、いじめとまではいかないけれど、めんどくさい奴に絡まれていた時期があって。それが自分の中ではけっこうトラウマで。高校に行って一度は、その苦い感情を乗り越えたんですよ。でも、誰かと仲良くなりすぎるのって怖いし不信感もあった。高校時代は、話をする相手もいたし、友達もいたんだけど、自分の世界をすごく守ってた。不良ではなかったけど、「今日は天気がいいから、宮島見ながら音楽聞くか」って授業をサボる日もあった。昼から体育だから、それだけ行くかって感じで(笑)。
清水 そのころから音楽は好きだったんですか?
キムラ もちろんです。ただアーティスト云々よりも、高校のころはオリコンヒットチャートの1位から100位までを全部知るっていうのが目標であり欲望でした(笑)。小さいころから本が好きだったので、コレクション的な意味合いもありましたね。とりあえず日本音楽の制覇! ジャンルもポップスから演歌まで全て、何万枚売れてるかまでチェック。でも、その知識は学校では全然出さなかった。ニコニコして暮らしながら、心の中では、もっと刺激を! と思ってた(笑)。
清水 あの当時は『オリコンWEEKLY』っていう週刊誌があって、毎週本屋に並ぶんですよ。ミチタさんには、学校での顔とチャートマニアの顔と両方あったんですね。
キムラ そうやって、邦楽を聞き込みまくった後、そろそろ次のステップ、つまり洋楽にいってみるべきじゃないかという時がきたんですね。さぁ、大きな海に漕ぎ出すぞっていう自分がいた。ちょうどそのころ、タワーレコードが広島にオープンしたんですよ。今はパルコにあるけど、昔は袋町にあったんです。そこに週末、朝一で行って、オープンから閉店までずっといた。全ジャンルを視聴機でひたすら聞いてましたね。自分に合う洋楽の音をずっと探してたんです。
清水 それが高校の終わりくらいの話?
キムラ 高校3年生の時です。実は、今から話すことは、表向きにするのは初めてなんですけど……。自分の好きなバンドと出合った瞬間があったんですよ、ジャケ買いで。それがTeenage Fanclub( 以下、TFC※ 1)。「これが! これこそがっ! 俺が欲しかった音
だ!」ってね。それくらいの衝撃を受けた。そうこうして僕、大学を受験したけど、希望校に受かんなくて一浪。予備校に通ってた時期があるんです。勉強してたら、もちろん成績上がるじゃないですか。志望校や進路についての話を先生としている時、「俺はまた4年間、闇に包まれるんじゃないか?! 」と不安にかられたんです。
清水 「大学生になっても高校時代と同じなんじゃないか?」っていう不安?
キムラ そうそう。そして、その帰りに、何気なくゲーセンに寄ったんですよね。そしたら有線放送でTFCの「What You DoTo Me」がかかったんですよ。デケデーンデケデンデンデーンって。その瞬間「えーーっ! まじか!」って全身が痺れて。
Teenage Fanclub「What You DoTo Me」
清水 広島の寂れたゲーセンで、超マニアックなUKインディーの曲がかかったと。それは燃えますね!
キムラ その後すぐに、「俺、大学行くのやめます」っていう話を先生にした。「音楽の仕事をしたい、やりたいこと決まったんで」って言いましたね。そういう経緯があって、広島の音楽系の専門学校に入ったんですよ。そこからずっとはじけてますね(笑)。音楽に関わることは、ガンガンやってやろう、これしかないと思ったんです。
清水 まさに音楽が人生変えちゃったんですね。それは運命的ですよ。いい話だな。
数々の伝説を目撃した
広島サンプラザは音楽の聖地
キムラ そっから先は、ほぼ変わらない、今のキムラミチタ(笑)。そして、その年の冬、19歳の時、Lenny Kravitz (レニー・クラヴィッツ)のコンサートを見に広島サンプラザに行ったんですよ。スーツ着て、キャスケットにブーツ、でっかいサングラスかけて、レニーみたいな恰好してね。今思うと恥ずかしい(笑)。でも最初から最後まではじけまくった。レニーのあのライブはほんとよく覚えてる。「こっからスタートだ。我慢しないぞ、やるだけやったるで」って自分の中で強く思いましたね。
清水 まさに『自由への疾走』ですよね。広島サンプラザというと、僕の思い出は1988年の広島ピースコンサート。僕も高校時代はミチタさんとよく似てて。友達全然いなくてギンギンにとがってたんです。なんてったって、新潮文庫(夏の100冊)とサロンシネマ(当時は鷹野橋)とレンタルレコード屋(己斐の「YOU&I」と「黎紅堂」)が、僕の3種の神器でしたからね!(苦笑)
Lenny Kravitz「自由への疾走」
キムラ あー、かっこいいなぁ。いわゆるサブカルに強かったんですね。
清水 そのころって広島で有名ミュージシャンのライブがなかったんですよ。よく言われる話だけど、みんな東京、大阪ときて広島飛ばして福岡かーい! みたいなことばかりで。でも、その1988年のピースコンサートでは、THE BLUE HEARTS、RED WARRIORS、渡辺美里、佐野元春……。
キムラ 確か、尾崎豊と岡村靖幸ちゃんが共演して有名になった。
清水 そうそう。他には、忌野清志郎が変名でやってたTHE TIMERSも出演。さらにポスターを描いたのはキース・ヘリング。ただでさえ音楽情報が少ない時代に、人気のアーティストたちが、東京でも大阪でもなく、広島に集まってフェスを行ったんですよ。この時だけは心底「広島に住んでてよかった!」って思いましたし、この影響から音楽の取材をやるために東京行きたいなって思うようになったんです。
キムラ なるほど。そのために何かアクションを起こしたんですか?
清水 えぇ。もう一つ大きな出来事があったんです。当時読んでた『rockin’on』に投稿コーナーがあって、高校2年の時に送ってみたんです。そしたら投稿2回目で載ったんですよ。当時の編集長から家に電話がかっててきて、うちの母が「東京のロッキンなんとかさんから電話よ~!」って叫んで(笑)。その電話で、「君の文章、良かったよ。これからも頑張ってくれたまえ」みたいなことを言われて。それで雑誌の発売日、ドキドキしながら地元の本屋に行って雑誌を開けたら「清水浩司」っていう名前が出てるじゃないですか。当時はワープロもパソコンもないから原稿用紙に手書きで書いて送ったんですけど、自分の書いた汚い文字が活字になって綺麗にレイアウトされてるのを見た時は感動しましたよ。
キムラ それはすごいな。何について書いたんですか?
清水 確か、JUN SKY WALKER(S)かな(苦笑)。でもその瞬間、僕の人生は変わったんです。僕は楽器も弾けないし絵もヘタで自
分には何の取り柄もないと思ってたけど、初めて人から褒められた。もしかして文章ならいけるのかもしれない、と。そこから東京に行って音楽雑誌に関わりたいなと本気で思うようになるんです。
キムラ 僕は行ってないんですよ、ピースコンサート。まだ中学生だったので。でも、テレビで見て、こんなすごいことが広島であったんだって驚いた。グリーンアリーナが出来る前、僕らの世代は、大きなコンサートやアリーナツアーは、サンプラザで開催するのがメインでしたもんね。しかし、変わってないよね、この周辺。
清水 変わらないですね。さっき写真撮影したペデストリアンデッキも、毎回サンプラザでコンサートがあるとあそこで人が溜まっちゃうんです。それをこの前出した小説『愛と勇気を、分けてくれないか』の中でも書きました。1988年にピースコンサートというライブがあって、サンプラザ前は人でぎゅうぎゅうだったって(笑)。だって書いておかないとみんな忘れちゃうでしょ?物書きとして何ができるか考えたとき、「かつて広島にはこういうものがあった」「こういう出来事があった」っていう記録や記憶を残していくことかなって思ったんです。
キムラ ほんとはね、僕の青春であるTFCの話、今日したくなかったんですよ。恥ずかしいじゃないですか、なんかウソっぽいし。でも残しておかないと、もう忘れちゃうんじゃないかって。
清水 中年ボケが進んでくると、自分の記憶自体が危ないですからね(笑)。記憶って残さないと全部消えていくんですよ。
♯2は、二人の人生に刺激を与えた音楽シーンと、広島の音楽とは何かに迫っています!
お楽しみに。
大須賀あい[フリーランス エディター&ライター]
呉市出身、広島市在住。大学院在学中から、RCCラジオでラジオパーソナリティを務めた後、ライターに転身。情報誌の取材、インタビュー、音楽誌の記事からラジオドラマまで「書く」フィールドはさまざま。どこか儚くも強い生命力を感じるものが好き。そして、音楽と海と本。男児2人、絶賛子育て中。<お仕事のご依頼は右記まで>alohasurf1030@gmail.com
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