コラム
更新:2026/07/15 公開:2021/03/05

言葉に責任があることを今一度考えたい 信念を貫ける「強さ」こそがジャーナリズム【アジアンドキュメンタリーズ】

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アジアの優れたドキュメンタリー作品を配信する「アジアンドキュメンタリーズ」。

戦争や貧困、環境、人権など、アジア各地で起きている社会課題を鋭い視点で描いた作品を数多く配信しています。

その魅力を伝えるべく、FLAG!とのコラボレーション企画がスタート。

第1回は、書籍・WEB編集者・堀友良平が『我らはジャーナリスト 報道の不自由な国イラン』を鑑賞。

イランのジャーナリズムを通して見えてきた「表現の自由」と「言葉の力」について語ります。

【作品内容】
「我らはジャーナリスト 報道の不自由な国イラン」
監督:アフマド・ファラハニ
2014年製作/イラン/作品時間85分
▶イラン人ジャーナリストたちが、口々に証言する。「イランでのジャーナリズムは、牢の中のジャーナリズム」。「イランでのジャーナリズムは、狼と踊るようなもの」。「イランでのジャーナリズムは、猫から逃げる鼠」。「イランでのジャーナリズムは、地雷原での散歩」。「俺たちは剃刀の刃を渡る」。イランでの報道の仕事が、いかに危険で理不尽なものであるかを彼らの言葉が物語っている。当作品は、メディア規制が厳しいイランの「現実」を映像で紡いでいきます。

動画配信サービス「アジアンドキュメンタリーズ」

「報道の自由」が奪われた国の現実

▲今回の視聴者:堀友良平(職業:編集者)

――作品をご覧になって、最初に感じたことを教えてください。

率直に、「すごい作品だ」と思いました。

ただ、「面白かった」とか「感動した」という言葉では表現できません。日本の価値観だけで簡単に善し悪しを判断できる作品ではなく、とても考えさせられました。

印象的だったのは、2008年から2009年の大統領選挙をめぐる出来事です。

30紙以上の新聞が相次いで発禁となり、政権寄りだった新聞でさえ、少し批判的な記事を書けば発行停止になる。

権力者が本当に恐れていたのは、「国民が知ること」だったのではないか。だからこそ、徹底した検閲が行われていたのだと感じました。

日本では政権を批判する記事が毎日のように掲載されます。それが当たり前だと思っていましたが、この作品を観て、その「当たり前」は決して世界共通ではないことを痛感しました。

一方で、この作品だけを観てイランという国を「不自由な国」と決めつけることもできないと思っています。

作品は、言論や表現の自由を守ろうとするジャーナリストの視点から描かれています。当然、その反対側にもさまざまな価値観や立場があるはずです。

だからこそ、この作品はイランを評価するためではなく、「報道とは何か」「自由とは何か」を考える作品なのだと感じました。

ジャーナリズムの原点を感じた、彼らの愛国心

―命の危険があっても報道を続ける彼らから、どんなことを感じましたか。

一番印象に残ったのは、登場するジャーナリストたちが、みんなイランという国を心から愛していることです。

祖国外へ逃れた人たちも、「いつか祖国へ帰りたい」と口をそろえて話していました。

投獄されてもなお、自分の国を諦めない。

その姿からは、「イランをもっと良い国にしたい」という強い思いが伝わってきました。

祖国を良くしたいからこそ、正しいことは「正しい」、間違っていることは「間違っている」と伝える。

もしそれがジャーナリズムの原点なのだとしたら、僕には簡単に真似できません。

恥ずかしながら、僕自身は「日本を良くしたい」という大きな使命感を持って日々仕事をしているわけではありません。

だからこそ、命を危険にさらしながらも信念を貫く彼らの姿には圧倒されました。

ジャーナリズムとは、知識や技術だけではなく、自分の国や社会を思う強い気持ちがあってこそ成り立つものなのかもしれません。

書ける幸せ、言える幸せ。
自由の価値を考えさせられる作品

――作品の見どころは、どこにあると思いますか。

一番印象に残ったのは、冒頭とラストで語られるナレーションです。

同じ言葉なのに、作品を観終えた後では、その重みがまったく違って感じられました。

「書きたいのに書けない」。

そんな状況が現実にあることを、映像だからこそ強く実感できます。

日本でも戦時中には検閲が行われ、自由に報道できない時代がありました。この作品を観ていると、その時代を生きた新聞記者たちも、同じような葛藤を抱えていたのではないかと想像しました。

作品では市民生活そのものよりも、「報道」に焦点が当てられています。

だからこそ、イランという国の報道の現実を深く知ることができました。

作品を観終えたあと、自分でもイランの現状について調べてみましたが、今なお報道や表現をめぐる厳しい規制が続いていることを知り、改めて作品の重みを感じました。

――ドキュメンタリーだからこそ伝わってきたものがありますか?

ありました。

僕は、映画監督や舞台作家も「表現を通して社会に問いを投げかける存在」という意味では、広い意味でジャーナリストだと思っています。

その中でもドキュメンタリーは、実際にその場で起きている出来事を映し出すからこそのリアリティがあります。

登場するのは役者ではなく、現実を生きる当事者たち。

その表情や言葉には、演出では生まれない説得力がありました。

同時に、危険を承知で撮影を続けた制作者の覚悟や信念も、映像から伝わってきます。

作品を通して、撮る側のジャーナリズムも強く感じました。

――この作品を観たことで、ご自身に変化はありましたか。

改めて、「表現できること」は決して当たり前ではないと感じました。

日本では、よほどのことがない限り、「この記事を書いたら投獄される」ということはありません。

自由に書き、自由に話し、自由に議論できる。

普段は意識していませんでしたが、それはとても恵まれた環境なんだと気づかされました。

もちろん、日本でも言論や表現をめぐってさまざまな議論があります。

しかし、それ自体が自由に行えるということも、一つの「自由」の証です。

SNSの普及によって、誰もが情報を発信できる時代になりました。

だからこそ、この作品は「何を発信するか」だけでなく、「言葉にはどんな責任があるのか」を改めて考えさせてくれます。

自由があるからこそ、その自由をどう使うのか。

『我らはジャーナリスト 報道の不自由な国イラン』は、「表現すること」の意味を静かに問いかけてくれる一本でした。

■語り部プロフィール■
堀友良平(ほりとも・りょうへい)
東京都出身。学研を経てザメディアジョンへ。企画出版、web、SNS、冊子などを編集。

 

広島T-SITE 広島 蔦屋書店 文芸コンシェルジュ
江藤 宏樹(えとう・ひろき)さん厳選書籍

■報道規制の怖さを知る本■

『日没』(著者:桐野夏生/発売:岩波書店)

国家によって言論や表現の自由が規制された近未来の世界を描く小説です。「表現の自由」が奪われる恐怖。そして「権力」によってそれが規制された時には、すでに取り返しがつかないという怖さ。本書はフィクションですが、現実の出来事を書いているのではないかと思うようなリアリティがあります。読みおえたとき、改めて「ジャーナリズム」の大切さを考えさせられる作品です。

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